相川雄二OBの寄稿文

「日本卓球界を彩った関学の名手と指導者」が同人誌「卓球人」に掲載される。

「卓球人」について。


「卓球人」は、卓球人による、卓球人のための、卓球人の回顧、論評、情報を中心とした同人小冊子です。更に卓球界で長年にわたり活躍、卓球発展に貢献した選手、指導者の優れた功績を称え、日本卓球界の強化、普及への一助とする「日本卓球人賞」の褒賞も行い、同時に卓球界発展に貢献のメディア(新聞、TV,雑誌)や特に発展に貢献した個人、団体をも対象の「特別賞」も制定し毎年全日本選手権の開会式にて表彰式が行われます。なお、「卓球人」の発起同人は、今井良春氏(東山高校名誉監督)近藤欣司氏(日本女子ナショナルチーム監督)鈴木一氏(慶大OB,卓球ジャーナリスト)中村精吾関学OB(故人)ら10人の方々で、創刊号は1999年9月30日、特集<偲・荻村伊智朗>として発刊されました。(年4回の発行)









相川雄二
OBS41年 商学部卆)について

大阪の山本高校からS38年に関学へ入学。在学中数々のタイトルを獲得、関学の選手で世界選手権に最も近かった選手の一人で、関学を代表する選手である。S41年卒業後、大阪のシャープ鰍ノ入社、

社会人でも活躍する。本社総務部長を勤め定年退職後、奈良市内に在住。

現在も卓球への情熱と、関学卓球部への愛情は旺盛で昨年は春、秋のリーグ戦にはコーチとしてベンチ入りし後輩を激励、指導されています。今回「卓球人」の同人に加入されました。


関学での主な戦歴

3回日中交歓大会(北京国際大会)全日本代表 S41

全日本選手権    S38年 Sベスト8S39年 MWベスト8、 S40年 Sベスト4 

全日本学生選手権  S38年 Wベスト8 S40年 Sベスト8 Wベスト4  

関西学生選手権   S38年 S優勝 S39年 W優勝 S40年 S優勝、W優勝

西日本学生選手権  S39年 W優勝 S40年 W優勝 

 ※今回の記事掲載に当っては「卓球人」の同人でもあり、関学にも縁の深いスポーツジャーナリスト大村義和様(元デイリースポーツ)にご協力いただきました。


以下は寄稿文の全文

「日本卓球界を彩った関学の名手と指導者」

「関学卓球部」三ケ月のマークの紺色ユニホームが全国区の大会でランク選手が見られなくなって長い歳月が経つ。昨今、強豪校の勢力図も変ったが、関学は過去、関西リーグ通算45回、東西優勝校対抗(現在廃止)5回、インカレ3回の優勝実績は古豪の証といっていいだろう。(以下年度は昭和)

 些か手前味噌になるが・・・・。戦前から戦後の黎明期に、渡辺重五(11・12年全日本連覇)、崔根恒(故人・16・17年全日本学生単、15〜17年全日本、全日本学生複優勝)、過去最強といわれる藤井則和(21年より全日本単5回、ボンベイ世界大会複優勝)を立て続けに輩出。さらにどダブルスの名手、西山恵之助(15・16年全日本、全日本学生W優勝)を加えた4人は、日本卓球を彩り、関学の黄金期を創った。丁度、球聖と称えられた今孝選手(早大)の活躍と同時代で、毎年、毎試合、打倒早稲田、打倒今孝、打倒今・須山組のカット攻略に苦心し、壮絶な戦いを繰り広げた事は、記録の上からも容易に想像できる。

 一方、この時期を含め関学の指導者、功労者という視点で見ると、私見だが、42年間卓球部長を務めた会計学会の大御所、青木倫太郎教授(故人)、磯岡新(故人)、渡辺重五、西山恵之助(故人)と思うが、ここでは磯岡新と西山恵之助を紹介させていただく。

 磯岡新は、自らはプレーヤーではなかったが、戦略性、先見性、行動力は抜群の資質を有していた。例をあげると、大学から卓球を始めた渡辺重五の素質を逸早く見抜き小林綱太郎と組んで僅か二年強で渡辺を全日本に2連覇させる。

 さらに、渡辺に続く次期エースを育成すべく韓国培材中学の崔根恒、大阪興国商業の西山恵之助を入学させ二人のダブルスで打倒今・須山組を目論み実現させた。続いて京都三商の藤井則和獲得に崔、西山を張りつかせ、入学後は崔に徹底して藤井を鍛えさせ、常勝関学の基礎を築いた戦略性は、見事という他はない。

 勿論、崔・西山・藤井の入学は磯岡の周到な戦略があったにせよ、渡辺の育った関学ということも大きく影響している。事実、元々崔は立教、西山は早大志望だったが、全国中学選手権で決勝を争ってから無二の親友となり、二人密約して、渡辺重五のロングの教えを乞うべく関学を選んだという。いずれにしても、磯岡新は、ナンバーワン獲得へのあらゆる対策を講じ、指導制を発揮した。監督退任は昭和28年なので藤井の引退後、しばらくして退任している。

 もう一人の関学を代表する指導者、西山恵之助は、昭和14年崔根恒と同期入学。前述の通りダブルスの名手として活躍。磯岡、渡辺直系の愛弟子。卒業後、約50年間、陰に陽に関学を指導してきた功労者。昭和30年代の監督時代は、世界選手権出場者の育成に粉骨砕身努力するも、有力選手の推薦入学難の影響で思いは結実しなかった。しかし、公立高校出・無名選手を鍛え、関西学生リーグ10連覇や多くの全日本ランカーを育てたのは立派。長岡・大隈組(30年)、吉川・松原組(34年)を全日本学生で優勝させている。

 その他、西山が残した実績は、女子部の新設、関西学連会長職など数多いが、筆者が感銘するのは自ら執筆した出版物。「藤井則和物語」(39年卓球レポート連載)、自費出版した「卓球行きつ戻りつ」H2)、中でも膨大なエネルギーを費やしたと思われる千ページにも及ぶ「関西学院大学卓球部物語」一部、二部編は、親友崔根恒から懇願されていたといえ、得がたい資料でよく書き上げたと感服する。この物語は関学卓球部のバイブルとして、永遠に後輩に引き継いでいくべきと思っている。

“いつの日か近い将来、早関卓球定期戦で往年の白熱戦が展開できるよう関学は速く復活せよ”という指針書として受け止めている。

以上

戻る