世界卓球選手権大会 |
関学で唯一世界選手権に出場した藤井則和OB(故人) |
日本が初めて参加した昭和27年の「第19回世界卓球選手権大会」
(於:インドのボンベイ=現在のムンバイ)に我が関学OBの藤井則和が出場し、
林 忠明とのペアで男子ダブルスに見事優勝
金メダルまでの足跡 |
不戦勝 |
○藤井・林 3(21−16、21−15、21−11)0 サムパット・ヴェンナー(インド・イギリス) |
○藤井・林 3(21−16、21−19、21−11)0 ジャヤント・バンダリー(インド) |
○藤井・林 3(21−15、21−19、21−12)0 コチアン・シド(ハンガリー) |
○藤井・林 3(21−8、21−14、21−19)0 ライズマン・カートランド(アメリカ) |
○藤井・林 3(12−21、9−21、21−18、21−17、21−12)0 リーチ・バーグマン(イギリス) |
優勝した藤井則和、林 忠明組
男子シングルス
3回戦で英国の強豪バーグマンと1時間にわたる熱戦を制したが、
休憩30分で疲労回復せず、4回戦でフランスのルーソフトに敗れベスト16にとどまる。
1回戦 不戦勝 2回戦 3−0 ジャイバング(カンボジア)
3回戦 3−0 バーグマン(イギリス)
4回戦 3−0 ルーソフト(フランス)
男子団体戦
日本は予選リーグA組で6勝1敗の2位(イギリスに2−5で負ける)に終わり、
決勝に進めず。藤井選手は7試合で14戦9勝5敗。
藤井則和は全日本選手権に21年から4連覇、25年欠場の後26年に5度目の 優勝を遂げランキング1位で世界代表に選ばれた。 ボンベイでは攻撃型選手に不利な柔らかい使用球でカット攻略に体力を消耗、 団体戦の段階から下位の選手に敗れる不本意な状態だった。しかし世界的な 権威者バルナ、バーグマンとも「彼のキャノンボールの決定力は今後も日本の 第一人者だ」とその実力を認めた。昭和27年8月日本のプロ卓球第1号となり、 バーグマンと世界を行脚。長く米国で生活した後晩年に帰国し平成4年11月 67歳で死去。 |
前列左端が藤井則和