早関戦に思う           関西学院大学卓球部 OB副会長 松原正和


 早関卓球定期戦は早慶卓球定期戦に先がけて、
1963年(S11年)より開催され大学卓球定期戦としては日本最古の定期戦ではないかと思われます。
 私が関西学院大学当時(S34年〜S37年)は東の雄、西の雄として実質的に東西王座決定戦に近い熱戦が展開され、入場料が取れていた年もありました。昨今は、関学の長期低迷により不名誉な戦績が継続されている事は実に残念な事です。
 今年は8月9日に復活第57回の早関定期戦が開催されましたが、今年も惨敗に終わりました。しかし、必ず歴史は繰返されると我々関係者一同確信し、強化対策本部を新設し、かっての「熱闘早関戦」の再現を目指して幹部一同頑張っております。幸い、最近関西学院大学側も一芸に秀でる人材の推薦入学の強化に力を入れつつあります。推薦枠も徐々に拡大されつつあり、今後に期待が持てそうです。


思い出の早関戦

 早稲田大学稲門卓球会発行 「思い出をつづる戦後史」第二集発行にあたり、昭和35年当時より全日本選手権大会で私の最大のライバルであり、今なお親友でもある木村興治さん(現、日本卓球協会専務理事)より原稿の依頼を受けて昔懐かしい早関戦の思い出「熱闘そして友情」を寄稿いたしましたのでご紹介いたします。一読ください。




本文(全文)

思い出の早関戦“熱闘そして友情”

関西学院大学OB 松原正和 (昭和38年卒)

 「思い出をつづる早稲田卓球史」への寄稿の依頼を受けて伝統ある早稲田卓球史の一ページを飾れる事を、大変光栄に存じております。
 私の卓球人生最大の思い出、それはなんと云っても早関戦です。聞くところによりますと、
第一回早関戦は昭和11年に開催後昭和15年まで開催され、以後戦争で一時中断され、そして復活後今年まで56回目を迎えました。したがって通算では62回を越えていることになります。大学定期戦としては、日本最古の歴史的大会といえるでしょう。
 過去、東の雄早稲田大学、西の雄関西学院大学として、実質的全日本決戦のような熱戦を繰り広げた時期もあった訳です。そうした中で、今なお印象深い思い出のいくつかを、回想としてみたいと思います。

一.入場料が取れていた早関戦

 昭和34年の早関戦は、全日本学生選手権大会(大阪大会)の翌日、大阪市内の小さな阿倍野体育館を借りての開催でした。木村興治さんと私は当時一回生で初出場でした。観客は有料にも拘らず、小中学生を中心に70%〜80%は埋めつくされていたと思われます。
 先ず第一のショックは、全日本学生選手権優勝の吉川、松原組が、高柳、明石組に敗れた事。 第二のショックは、全日本的に名の知れた関学のエースの岡本主将対フレッシュマン木村興治との対戦、まさかの敗戦に関学陣営は少なからず動揺を隠しきれなかったことです。その後の後半戦では全廃ムードが漂い始め、せめてもの一勝コールも結局アレヨ、アレヨという間に全敗、9対0で完敗。当時としては、早関戦史上記録に残る不名誉な結果に、全員意気消沈してしまった若き日の苦い思い出でした。

二、友情の羽田空港

 今から約44年前の事ですが、今なお懐かしい“あの西北寮”。昭和34年から長年お世話になりました。当時の佐々木主将、現在稲門会会長の林さん、そして大瀬さん、木村さん、伊澤さん、林晋也さんなど懐かしい方々ばかりで、同じ西北寮の釜の飯を食った仲間という気持ちです。 さて、羽田空港での友情の思い出、それは昭和37年第一回日中友好卓球大会の日本代表として、私と木村さんが選抜され、中国への出発の当日、壮行会の羽田空港出発ロビーでの事です。関学からの見送りが少なかった為、早稲田卓球部の皆様のご好意で、女子部員の黄色い声も混ざって、関西学院校歌「上ヶ原ふるえ!」と一生懸命歌ってくださったあのときの声と姿を今も忘れられない思い出として、今なお感謝の気持ちで一杯です。
 そして6年前の平成九年、早関戦50回記念大会に私が挨拶の中で「友情の羽田空港」のことを話すと、試合後のパーティー会場で、当時の女子部員の方も出席されており、私も当時羽田空港で「上ヶ原ふるえ!」と歌いましたと話しかけてこられ、突然の事に感激もし、昔話に花が咲いたものでした。

三、夜の早関戦

 私が東京へ転勤していた平成二年〜4年ごろのことです。社会人になってからも旧友を温めようと、夜の早関戦とばかりに、メンバーは早稲田側から河野さん、木村さん、伊澤さん、関学側から中村清吾さん、鳥生さんなどでした。場所は私の勤務先の積水化学の社員クラブで、年二回程度開催、昔懐かしい早関戦の思い出に花が咲き、仕事仲間との会食とは異なり、又楽しいものでした。その会話の中で、当時の早関戦といえば東西代表決定に近い白熱戦であった。あの頃に近い熱闘早関戦の再現ができる様、“関学さんがんばってください、”と激励を受けたものです。


 以上懐かしい思い出の数々ですが、伝統と歴史の早関戦も、今は関学の長期低迷で、定期戦というより試合後の懇親会の印象が強くなりつつある事は、大変残念な事であり、早稲田大学の関係者の皆様には、大変申し訳ないと存じます。しかし、歴史は繰返されると申します。今を底辺とし、将来昔のような白熱した早関戦の再現を目指して、関学
OB会、現役一丸となって、関学卓球部の再建に挑戦していきたいと思います。そして、伝統と歴史の早関戦を永遠に活力ある定期戦として、継続し続けたいものです。